こんにちは!あおいです。
すごくうれしいことが、ありました。
長男が、友達の男の子1人と、その子の友達の女の子2人で遊びに行ったのです!
そんなことで?だと思います。
私はすごくうれしかったので、今回は、長男のことを書こうと思いました。
よかったら、読んでみて下さい。
産まれる時のこと。
「お腹の子は4000gを超える巨大児の疑いあり。自然分娩できる確率は3割、出産後は小児科に通うことになります。」
帝王切開で産み、3790gでした。
看護師さんは「おめでとうございます!(4000gより)小さかったですよ!3790gでした!」
と夫と母に伝えました。
わが家と同じく横で娘さんの出産を待っていた方が「え?!それ小さいの?!」と、ビックリされていたそうです(笑)
健診に行く。
3ヶ月健診
3ヶ月健診に行った時のことです。
隣に座ったお母さんが、長男がどう見ても3ヶ月のサイズではないので、健診場所を間違っているのではないかと心配してくれ、声をかけてくれました。
そこで仲良くなり、そのお母さんとは今でも友達です。
3歳児健診
健診で、長男は弱視であることが分かりました。
よく転ぶ子だったのですが、弱視が原因だったようです。
興味がある事を見つけると、すぐにどこかに行ってしまう子でした。
車がビュンビュン行きかっているような危ない場所でも、お構いなしでした。
抱っこ、ベビーカーに乗る、手を繋ぐが大嫌いで、それをするとギャン泣きでした。
大きな音が嫌いな子でした。
幼稚園
弱視矯正用の眼鏡をかけていたので、からかわれることがありました。
本人は全く気にしない性格で、からかわれても、いつも楽しそうでした。
少し個性的で、周りがかわいい動物の絵を書いている中、1人マグマを書いたりしていました。
良い意味でも悪い意味でも、周りをあまり気にしない、マイペースなタイプでした。
そして相変わらず、外出すると、振り返ったらいませんでした。
外出時間の半分は、長男を探す時間だったように思います。
「あおいちゃん、スーパーでいつも長男君探してるよね」と、友達によく言われました(笑)
友達親子数組で遊ぶ時も、周りと一緒に遊ぶより自分がやりたい事優先なので、私と長男だけ離れてポツンとなる事がよくありました。
私自身もマイペースで人見知りで、集団が苦手でしたが、お付き合いもがんばっていたのに思うようにいきませんでした。
何で私は上手くお付き合い出来ないんだろう…
何でうちの子はこうなんだろう…
と、すごく悩みました。
参観日や、友達親子と遊びに行く事が、苦痛でした。
弟が産まれましたが、あまり興味がない感じで、すごくかわいがるとかはありませんでした。
小学生
発達障害
1年生になってもマイペースは変わらずで、クラスの補助の先生は、長男専属の先生状態でした。
担任の先生に「発達障害かもしれないので、一度相談に行かれては?」と勧められました。
その先生は、過去に発達障害の子の担任をしたことがあったそうです。
「あぁ、やっぱり」と思いました。
友達の子供さんが発達障害で、その子の話を聞いていると、長男と同じだなぁと前から思っていたのです。
精神科で働いている私の弟にも「発達障害では?」と言われていて、夫の母にも「テレビで発達障害の事をしていたけど、そうなのでは?」と、前々から言われていたのです。
育児が上手くできないなぁと落ち込むことが多く、悩んでばかりでした。
それもあり、相談に行きたいと思いました。
帰って夫に話すと、猛反対でした。
夫は私と違い頭の回転が速く口も達者なので、私はいつも、すぐ負けます(笑)
でも、この時は引き下がりませんでした。
1週間毎日喧嘩をしましたが…負けました。
相談に行く事は諦めました。
言ってはいけない事。
長男には友達もいましたし、その点は安心していました。
でも周りにペースを合わせる事が苦手だったので、友達によくからかわれていました。
長男はからかわれても気にしていませんでしたが、私はその場面を何度も見ていたので、つらかったです。
ある日耐えられなくなり「本当の友達ではないから、付き合わない方がいい」と言ってしまいました。
「そんなことない!」と大喧嘩になりました。
いくら親でも、言っていい事と悪い事があります。
自分の友達の事を悪く言われて、うれしい人なんていません。
そんなことも分かりませんでした。
その頃から、自分から友達を作ることをしなくなり、人と関わることが嫌になったように思います。
友達はいましたが、学校では1人でいる事も多かったようです。
1雨1傘
雨で傘を持って行くたびに、壊して帰って来ました。
毎日のように、物を無くしました。
学校の配布物が、私の手元に無事に届くことは稀です(笑)
そして、提出物が先生に届くことも稀です。
片付けが苦手なのに、視界がごちゃつくのは嫌いらしく、教室の作品掲示やディスプレイが嫌だったようです。
1度ディスプレイ係の子と喧嘩になって、先生から電話がかかってきたこともありました。
あとは、恐ろしく方向音痴でした。
6年生になっても、近所で迷うのです。
遊びに行く度に帰って来れるか心配でしたが、人に道を聞ける性格だったので、無事に帰って来ていました。
時々私の友達から「長男君に道を聞かれた」と、報告がありました(笑)
知っているお母さんだから、道を聞いたわけではありません。
興味がない人の、顔や名前は覚えないのです。
興味がある事に対する記憶力はすごいのですが、興味がない事は全く覚えないのです。
ゲームが大好きで、ゲームの世界では1度も迷子になった事はないそうです(笑)
霊感
「不思議に思う事」という授業があったそうです。
長男は「鏡に自分以外の知らない人が映っているのが不思議」と書きました。
隣の席の子が「怖い!!!」と言いました。
長男は、初めて自分だけ見えていることに気が付いたそうです。
夢
長男は、興味がある事には、すごくのめり込む性格です。
日清のカップヌードルが大好きで、将来日清でラーメンを作るのが当時の夢でした。
そのために、2年間程、休みの日に自分でラーメンを出汁から作ったりしていました。
でも片付けができない性格だったので、長男が料理をした後の台所は、それはもう悲惨な状態でした。
私は我慢ができず、口うるさく言ってしまいました。
「そんなことでは日清で働けないよ!」とか、酷いことを言ってしまいました。
長男は嫌になり、日清で働く夢も嫌になりました。
私が長男の夢を奪ってしまいました。
自分が夢に向かってがんばっているのに、ガミガミ言われたら嫌になりますよね…。
私はまた、そんなことも分かりませんでした。
その後は、投資に興味を持ち始め、投資の本ばかり読んでいました。
5年生の時、おすすめの本を紹介する授業がありました。
投資本の紹介をして、先生もクラスの子もポカンとなっていたそうです。
中学生
嫌がらせ
長男の中学校は、毎日のように喧嘩が勃発、不登校の子も多かったようです。
長男も殴られることがよくありました。
殴り返していたようで、時々担任から電話がありました。
殴る、ではない嫌がらせが厄介でした。
先生の前ではしないので、先生も分からないのです。
その頃から、髪を切ることを嫌がりボサボサ、マスクを常につけるようになりました。
合唱コンクールの練習で、マスクはつけてはいけないのに、絶対はずしませんでした。
クラスで問題になり、先生は困って電話がかかってきました。
私が言っても聞かなかったので、解決することはなく、合唱コンクールは出ませんでした。
長男がポロッと言いました。
「マスク無しで口パクで歌っているヤツではなく、マスクをつけていても大声で歌っている自分が注意されるのは、納得がいかない」と。
不登校
長男の体はグッと成長していました。
早く寝てもたくさん寝ても、朝起きられなくなりました。
逆に、疲れていても眠れない事もあったようです。
とにかく体がだるかったり、頭が痛くなったり…体がしんどかったみたいです。
そして、そもそも集団行動しなければいけない学校が嫌いなのに、それに加え嫌がらせをされるので、学校に行かなくなりました。
長男は、精神科に行きたいと言い出しました。
でも私は、気持ちが負けているだけ、仮病、くらいに思っていたので、連れていきませんでした。
初めての経験で、どうしたらいいのか分からないのもありました。
本人が行きたいと言っているのに、連れて行かないなんて、酷い親です。
もっと真剣に話を聞いてやればよかった、連れて行ってやればよかったと後悔しています。
病院に行けば何か分かったかもしれないし、本人の気持ちも落ち着いたかもしれません。
家出
体調が悪いと言って休んでいたのですが、さすがに先生もおかしいと思ったらしく、連絡をくれました。
時々は学校に行っていたのですが、行った時に先生が「後で家に行くから、一緒に話しよう」と声を掛けてくれました。
長男は、学校から帰って来ませんでした。
先生が家に来ることが嫌で、その話をするのが嫌で、家出をしたのです。
その日の夜には見つかり、無事に帰って来ました。
先生方に申し訳ない気持ちと、見つかって良かったとホッとした気持ちと、腹立たしい気持ちと…
いろんな気持ちで、頭も胸もパンパンでした。
その時私はなぜか、怖いくらい一切感情が出せませんでした。
友達は、いらない。
私は学校に行かない長男の事をどうしていいのか分からないし、毎日長男と喧嘩していました。
体が楽になってきたり、クラスが変わって環境が変わったりしたからでしょうか。
徐々に学校に行くようにはなりました。
その頃だったと思います。
長男は「友達はいらない、何も期待しないで。」と言い出しました。
部活の友達がいて遊んではいましたが、その友達意外と話す事はほとんどなかったみたいです。
中学3年間
中学3年間も、変わらず1雨1傘でした。
変わらずいつも物を無くし、片付けは出来ず、配布物が私に届くことも、先生に届くことも稀でした。
私が思いつく、ありとあらゆる事を試しても、無理でした。
人に興味がないのも相変わらずで、よっぽどの事がない限り、クラスの子の名前を覚える事はありませんでした。
ただ、興味がある事への熱量は変わらずすごかったです。
パソコンでできるゲームが欲しいと思った時、少ないお小遣いをコツコツ貯めてパーツを買ってパソコンを作り、ゲームをしていました。
投資がしたいと言いましたが、私が投資の事が全く分からなかったので、させませんでした。
進路
心配でしたが、何に関しても、あまり言わないようにしました。
高校に行くのか、就職するのか、進路も自分で決めさせました。
そして長男は自分で今の高校を選びました。
将来の為に、高校くらいは出たほうがいいと思ったから、高校は行く事にしたそうです。
その高校を選んだ理由は「近いから。」でした(笑)
口出ししないと決めたのに、何回かそこでいいのか聞きました。
その高校は通っていた中学校と同じ雰囲気で、長男には絶対合わない、また不登校になると思ったからです。
でも本人が「それが分かった上でそこを選んだ」と言ったので、覚悟を決めました。
高校
高校を辞める。
高校に行きだしましたが、やっぱり合わなかったらしく、高校を辞めて通信制高校に行きたいと言いました。
どうしようかと思いましたが、
「辞めたければやめればいい。
本当に自分が行きたいと思う学校を探して、また教えて」とだけ言いました。
自分で調べ、ちょくちょく報告してくれました。
でも最終的に長男は「辞めるのを、やめる」と決めました。
決めてからは、行きたくなくても学校に行っています。
進路
行きたい大学があるらしく、そこに行くのに必要な分、学校に行ったり勉強したりしているようです。
「今日は、歴史に名を残すゲームが発売されるから休む。」と言った時も、単位を計算した上で休んでいました。
必要ならば、大嫌いな体育もフラフラになって先生に止められるまで、がんばって出ているようです。
提出物は「その大学に行くのに必要ではないから、提出しない」そうです。
先生も「そうなんやけどね。」と失笑でした。
変化
最近、少しずつ変わってきているように思います。
相変わらずマイペースですが、人のペースに合わせるようにもなりました。
友達はいらないと言っているし、今でも積極的に友達を作ろうとは思わないみたいですが、話をするクラスメイトはできたようです。
そして冒頭にも書いたように、知らない人と出かけようとも思うようになったみたいです。
興味がある事への熱量は変わらずで、高校生になり、投資もOKしました。
私より知識があるので、私の投資の先生です。
自作のパソコンも、より快適に使えるように、お小遣いを貯めては改造し、ゲームを楽しんでいます。
なんだか、楽しそうにしています。
楽しそうにしている姿を見ると、うれしくなります。
おわりに。
私は、自分の事は棚に上げて「私が思う良い子、周りが思う良い子」になって欲しい、という思いが強く、長男の良い所を見ようとしませんでした。
「自分の子供には、何を言っても許される」と思っていたのだと思います。
長男から「鬼!毒親!」と何度も言われましたが、その通りだと思います。
異論はありません。
反省しかありません。
結局、発達障害かどうかも分からないし、私の子育てのやり方がいいのかどうかも分かりません。
でも、これまでの失敗・反省を生かし、これからも子供の成長を楽しみに、見守っていきたいと思います。
わが家に生まれてきてくれて、ありがとう!
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